2018年08月04日

平等

平等な社会という幻想。

そもそも何をもって平等というのかいう認識が共通していないのよ、なんか漠然と平等と言っているのですよ。

労働の対価として食事の量が決まるとした場合、体が不自由だったり、能力が低い者は生活出来なかったりするだろう、でもこれは平等です、個人資質以外は平等に評価しているのです。

能力が低かったりするのを救済する事が平等という理由は何だろうか?みんなが同じ生活をするのが平等だとでもいうのだろうか?それは能力がある者を酷使しているだけで不平等とは思わないのだろうか?


どの位置から物事を見るかによって平等とはコロコロと尺度が変わるものなのです。

先日の医科大学の件にしても同じ試験を同じ様に評価しないから不平等という考えと、未来に生み出す価値に対する評価としての平等性という対立が有るのです。

少なくともこれに文句を言うならクォーター制に対しても反対をしなければおかしいよね。

また杉田水脈の発言に対して生産性の部分を切りとって差別だの何だのというのも見方の一つ、そしてこんなのを許すと身体障害者も生産性低いから次はといった考えになり、まずい世の中になるという考えはある意味それは正しいのかもしれないけれど、それならば国民栄誉賞とかにも文句を言わないとスジが通らないのではないか思う。

優秀な人間を国が評価するというのも同じ事よ、極端に言えば優秀じゃない人間は評価しないという事なのだから。

評価に値するか否かを勝手に決めているよね、世論等が決めているからそれは平等な評価だとでもいうのだろうか?

人が物事に対して評価していくから評価はブレブレ平等になんか評価できないのよ、出来ても自分の中の平等でしかないのです。


世の中を良くしようとして行われる運動にしても多分平等なんかにはならない、下に見られていた事象を平等にする過程でチョイと上の存在にしてしまう、それに異議を申し立てても差別だの言葉で反論が出来なくなってしまうのだ。

世の中には能力の差がどうしょうもなく存在しているのです、また時代の流れ社会状況により必要とされる能力は変わるのですそんな状況で平等って何の事というモノなのです。

理不尽で無慈悲な世の中なのよ。
posted by mouth_of_madness at 21:11| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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