2019年04月20日

没個性

目玉焼きを四角く切った作品で日本の学校教育を比喩するというグラフィックデザイン専攻のの学生作品。

何だこの類型的な学校教育批判、正にこれこそが没個性ですよ。

自分は考えて個性があると勘違いしている類型的な感じがトホホです、まぁ学生で若いから仕方が無いのかもしれない。

そもそも言うほど人に個性があるのかという疑問をもたないと、個性が有る者を無個性に教育は本当にしているのか?多分そんな事はない個人の利益追求の結果周りに同調した方が楽で利益多しと判断した結果だと思う、単なる本能的なモノに過ぎないと僕は考える。

むしろ個性的と言われる者の方が何かの影響を受けそれの模倣にすぎないとすれば学校教育ではないがむしろ後付の無個性の個性なのではないかと思う。

現実に個性的といわれる人も殆どが普通に学校教育を受けているのですよ、そんな事では潰れないモノを持っていたという事か、教育にはそこまでの力なんか無いという事何じゃないの。

簡単に潰れるような個性って何よと思う、個性は繊細なんですとかいうのかね?

蟻が無個性に役割を果たすが如く人間その様に行動してはならないという事もないし、その様に行動する事こそが人間の本質だとしたら教育でなんか変っていないという事ですよ。

人種や国家が違って教育も違っていても結局は利益追求、富を求め、高い塔を作り、他国のモノとかを欲しがったりする、これの何処に世界に個性があると言えるのだろうかと思わない?

自由だ個性だといってもなんか同じ様な感じに流れていく姿に何処に個性があるのよ。

それにねぇ個性的に成るようにという教育をされた者の個性は本物なのか?作られた個性でも一つとして同じ形のない目玉焼きの方が良いのか?

まぁ何処までいっても国家の、社会の仕組みから逸脱したモノは排除されるけどね、そこから排除されない様にする為に教育はあるとしたらある程度型にはまるのもまた子供の幸せの為という考えも成立する。

個性と狂人の境目こそが教育なのです。

今回の作品で考えるとすればこの四角より小さい目玉焼きは不定形のままなのでは無いだろうか。
posted by mouth_of_madness at 21:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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