住んでいる年月でいったら今住んでいる場所の方がはるかに長いのだが生まれ育った場所の味付けが性に合う。
味噌、醤油の味がね特にそう思う。
子供の時に刷り込まれた味というのがホッとする、安心するという回路が作られているのだろう、これは動物的に安全な食べ物、危険な食べ物という認識を作る為のモノなのだろうか?それとも成長する、栄養を補給する為にその味を美味しく感じる様に脳がその様に設定されるのだろうか?
成分的にはなんかもっと美味しいモノを食べていると思うのだがホッとするという感じは生まれ育った所で食べたものだけに感じる様な気がするのですよ。
其処でふと思う。
転校を2年置き位にする人いるじゃ無いですかそういう子供時代を過ごした人の味の思い出ってどんな感じになるのかね、色んな味を楽しんでいて幅広い味覚感覚とかになるのかね?
フランスで育った子供はフランス料理には敏感な料理人にはなれても日本人向けのアレンジしたフランス料理の料理人にはなり難いとかあるのかね。
脳に作られる味の基準とかがあると思うのだけどその仕組みってどうなっているのかちょいと興味があるよね、別に味だけで無く匂いや音にしてもそう、よその家のタオルとかって自分の家の匂いと違うのが奇妙だったり、音にしてもあるかんきぃうで音を聞き続けていると意外とその音が気にならない程度に聞こえなくなるでしょう、でも実際にその音を消すと妙に不安感が出たり。
多分この辺はナワバリだったり、常態化する事でその状態に入り込んだ異音を察知する事で危機回避する為の能力だと思うのよ。
人間の機能の面白さよと思ってしまう。