2018年01月09日

Daiwa Boys

ダイワハウスのCMで役所広司がボーカルをとるバンドがなんかいい感じ、ゆるいテンポが実にしっくりくるのです。
DaiwaBoys
https://youtu.be/ehjXW7FcT-E

カントリー? フォーク?

これまであまり聞いてこなかったジャンルなので実に新鮮なのですよ。

CMからの流れで調べてみたら「The dead south」というグールプがいい感じなのですよ、何かこうやって音楽を聴いていくと隙間のない位に色々な音が散りばめられて構築されている音楽って疲れるよねと思う、若い時はそれでも良かったというかそれが好きだったけど今は隙間が心地良いのです。
The dead south
https://youtu.be/B9FzVhw8_bY

隙間と太い音、存在感のある音というのが逆に空気の音を感じさせるのです。

無音という名の音なのです。
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2017年01月13日

去年の日本の曲

2016年youtubeで観られた邦楽ベスト50とかいう類いの動画を見て思った。

音がピクリとも耳に残らない感じに驚いた、兎に角僕には音が悪いのです、なんかみんなシャカシャカいっている感じの音なのです。

低音が入ってはいるのだろうけど何か耳に残らないのですよ。

それに曲は違うのに音的にはどれも同じ様な感じで違いを感じないのです。これを老化というのかもしれないけれどこのサウンドの駄目な感じは実に嫌、実にツマラナイ。

サウンド的には昔の歌謡曲の方がバリエーション豊かだったのではないかと思う、ザ・ベストテンとかがやっていた頃の方が色々な曲がテレビとかから溢れていて良かったのではないか。

他チャンネルや様々な動画があって選択権があるけれど何でこれほど同じ様なモノが氾濫するのか?それが流行というモノなのかもしれないけれど何かがおかしい。

後何だかんだでyoutubeって狭い層しか観ていないのではないかと思う。

価値観が何処かで固定されている感じがするのです、自分で選択しているように思えても流れに取り込まれている、色々なモノに揉みくちゃにされていないから強靱さが足りない弱いセンスになってしまうのです。

いや揉みくちゃにされなくても一途に深いのならば良いのだけどコントロールされた一途では深みが足りないのです。

この感じ何かに似ていると思ったらファミレスです、ファミレスマニアに言わせたら違いはあるしそんなに薄っぺらではないと言われるのかもしれないけれど、安定したソコソコ感が今の音楽チャートなのです、何となく工業製品の如く売れる要素を分析して作られているのではないかと、あるクオリティラインを維持して色々な人に好まれるバランスをとる商品になっているのです。
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2017年01月03日

レコード大賞

知らない曲がレコード大賞。

まぁここ何年もヒット曲っていうモノを良く理解していない、興味がないというのもあるけどね、といっても子供の頃はレコード大賞とった曲って興味無くても耳にしていたりした。

歌番組というのが崩壊しているのもあるだろう。

テレビが力を失ったのも大きいのだろう、ネットで好きなモノしか観ないという状態が続けば他の流れは存在しないが如くなっていく、共通認識がなくなっていくのだ。

そしてこれは邦楽だけではない、洋楽にしても今年の大ヒットという感じイマイチピンと来ない、何となく音楽の力が無いのだと思う。

MTV時代が最期だったのかもね。

ピコ太郎は世界的に当たったのかもしれないけれどどちらかというとアレは音楽の力というよりネタの力、本業のお笑いの力だと思う。

ドンドン消費される音楽、消費されるから力がありすぎると駄目なのかもね、半年にわたってヒットとかいうのは業界が許さないのかもね。

あと音楽の力が弱くなったのはPCとかでレコーディングとかが出来る様になったからかもね、ひたすら細かくエディット出来る様になった為にパーソナルになりすぎているのだと思う、マニアックになりすぎているのだ。

四角形でいうと全周20cmでの面積みたいなモノなのかもね、良いモノは5cm×5cm、でもマニアックなモノは1cm×9cmみたいな感じなのだと思う。
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2016年08月29日

ムーンライダース

ワーハピ2016で期間限定での再結成状態のライブを観た。

非常によろしくない、なんだろうバンド感はないしズルネバもっさりしているのですよ、軽さがないのです、40周年という事での再結成という事なんだけどファンの人はこんなモッサリしたのを観たい、聴きたいのかね?

昔好きだった僕は観たくないです、まぁ僕はずいぶん前からピンと来なくなってろくに聴いてはいない訳で、熱心なファンではない訳ですが、ワーハピで観たライブはガッカリ感が迸る。

全然声出てないしね。

熟成しすぎて渋みしかない感じ、ちょいとヒネたポップ感覚は若さがないと駄目なのだと思いました、鮮度がないと何か拗らせたオッサンが中途半端にはしゃいでる様にしか思えないのです。

雑味が抜けて、贅肉がそぎ落とされ軽い音楽になっていれば良いのにね。
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2015年12月28日

有頂天

有頂天の曲「BYE−BYE」がここ数日ツボにはまっています。

有頂天自体はそんなに嫌いではなかったけど、最高だという事もなく何となく聴いていた感じだったのです、この曲も発売された当時聴いた事もあったけど買う事もなかった感じです。

それがふとYOUTUBEのオススメみたいな感じで耳にして頭の中でグルグル回るのです。

今聴くとあの時代のレクイエムみたいな感じがするのですよ、あの時代に浮かれていた者に送る、未来に向けて仕組まれた曲なのではないかという感じがしてチョイと鳥肌モノなのです。

寝かした方がイイ曲というのもあるのかもね。

寝かす事により熟成され、自分の記憶の壊れ具合とマッチし時代の空気を思い出す様な効果が出るのだと思う。

この曲の場合は懐メロというのとはチョイと違うのよ、脚色された思い出なのよ、なんか微妙に言葉に出来ていないけれど、現在から過去を懐かしんでいるのではなく、もっと未来の年老いた自分が過去を思い出している感じなのよ。

未来の記憶と過去の記憶の衝突なのよ。

同じ様に三木鶏郎の曲も僕には響くのだけどね。
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2015年06月08日

サクラあっぱれーしょん

youtubeのおすすめで聴いた曲なんだけどコレがなんかツボにハマッタ、それを切っ掛けに他のでんぱ組の曲を聴いたのだけど他の曲はイマイチピンと来ない、この曲だけが僕的には良い曲だった。

僕にとっての一発屋という事になるね現時点では。

この感じと同じのは随分と昔になるが爆風スランプの「嗚呼!武道館」と同じ感じの衝撃です他の曲はピンと来ないのに一曲だけが妙に気になるという感じが実に似ているのだ。

またこの「サクラあっぱれーしょん」ですが僕の好きなメトロファルスとどことなく似ている感じがあるのよ、曲調とかは違うのだけど言葉の遊び方というかてやんでぇという感じになんか類似感を感じたのですよ。

まぁこんな事をいうと何を寝ぼけた事を言われるかもしれないけれど僕的には類似性を感じたのである。

それにしてもこの曲なんで此所までツボに入っているのか未だに分析出来ていない、まぁ実際は分析なんかしていないのだけどね、コレで飯を食っているのならば分析しないといけないのだろうけどそうじゃないから自分の心に問いかけるだけ。

ただ他のでんぱ組の曲と違う感じはなんとなくわかった、他の曲はなんかあざといのよ、チョイと変わった事をしようという気負いがなんか五月蠅いのよ、歌詞も何か微妙にヒネろうとしてスベっている感じがどうにも面白く無い、この曲もその辺を狙っているのかもしれないけれど丁度イイ匙加減で馴染んでいるのよ、メンバーのそれぞれの持ち味をクドくならずに出している感じが心地良いのですよ。

まぁそのあざといいジャンクな味わいが好きな人も多いのかもねと思いつつ、この曲が一番の毒菓子で毒が強くないと駄目なのが僕かもしれないだけど、それはそれ、コレラは虎狼狸というものよ。
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2015年05月15日

木星

ホルストの惑星です、それもオーケストラ版も良いのですが僕は冨田勲のシンセ版が好きです。

なにかアニメというか映像感というか物語感がグイグイ来るのです、そんなモノは音楽の雑味というのかも知れないけれど実際には実在しない宇宙船の乗組員に泣きそうになるのです。

木星に辿り着いた喜び、荘厳差に圧倒され、徐々に地球から離れていく物悲しさ、スイングバイの加速、木星の嵐といった感じが何か壮大な宇宙計画を観ているようでゾクゾク来るのです。

以前歌詞をつけヒットした平原綾香のバージョンではこの感動が無いのです一部を切り出した感じではガツンと来ないのですよ。

音楽が与える映像絵巻、偶にこういうのがあるのですよ、音の魔力というかなんというか脳にシビれる、鳥肌が立つ様なシビれる様な体験が。

ストコフスキーのトッカータとフーガはなんか昼メロ的映像が再生され笑ってしまうけどね。
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2014年09月16日

ロックは何故駄目になったのか?

ロックは死んだとか言われるけど何が駄目になった理由なのだろうか?本当に死んだのかという話は横に置いといて。

何か何時もの書き出しでありきたりでカッコ悪いね・・・

兎に角駄目になっていると思う部分は格好良くないという事だと思う。

カッコ悪いというのが駄目というのはこの冒頭を読むだけで理解出来る筈だ。


演奏の技術とか、曲の良さとかといった部分ではなく本能に根ざした衝動、格好つけといった部分が無くなっている部分ではないだろうか。

中途半端にアートとか表現とか、自己の内面とか、政治的スローガンとか言い出した事がカッコ悪い感じになりブレーキをかけているのではないだろうか。

ウヒョーッこれカッチョ良いという衝動がアートであった場合は問題がないのだがアートの表現にロックを選んでは駄目なのだ、衝動が衝撃が薄まってしまうのである。

本質を見失ってしまうのである。

頭で考えすぎて駄目にしているのである、格好いいという迸りを理屈で駄目にしてしまうのである。

これって美味しんぼの料理が頭で理屈で考えて五月蠅い食べ物になっているのと同じだ、安酒だろうが化学調味料だろうがガツンと来るモノが食べたい、下品な味だろうがこれよこれというモノが食べたいのを抑えては物足りないモノになるのだ。

エロにしてもアートに方向に向かいすぎて勃起しないのは駄目なのである。


ロックとは勃つ音楽で有るべきなのだ、其処に痺れるのである。

頭で表現者であれとか考えている時点で駄目、衝撃を何処まで増幅させるかそれこそが由一必要なモノ。
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2014年06月06日

ロックってカッコ悪い

「今時、まだギター使ってんの?」との発言の記事を見てグラグラ来る程の格好悪さ。

これをみるとやはり「ロックは死んだ」というジョンライドンの発言にも頷ける感じがするのである、ミュージシャンですから音に拘りがあるのは仕方の無い事かもしれないけれどなんかまだ其処って感じがするのである。

ロックってカッコイイ音楽なのよ、こんな発言にはちっとも粋というのがないよね。

小さい所に拘る事は別にかまわないけれどそれを悟られる事は実にカッコ悪いのよ、それなのに自分の拘りをアピールしてしまう始末。

拘りはねぇ作品で語れば良いのよ、まぁ大体の拘りは気付かれない様な気がするけどね。

もう一つカッコ悪い事が有るとしたらこの発言に過剰に反応するギターリストである、サラッと受け流す余裕が欲しい、ギターが好きでそれを演奏しているので有ればそんな事でグラついては欲しくないね。

まぁ実際にこの発言に噛みついているのは僕の様な一丁噛みか野次馬が大して面白くないけど面白がっているのが実情だと思う、殆どは興味も何も無い。

興味があっても何か気の利いたコメントを出しているモノもいない筈だ、誰もが不真面目に反応しているだけだからね。
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2014年02月05日

不幸自慢

両耳が聞こえない作曲家、実はゴースト作曲家がいたというニュース。

コレが問題になるという事は音楽を聴いていないという事だよね、音楽の良し悪しをキャラ性に求めていたりするから問題になるという事だよね。

当事者同士はギャラの取り分だのとかで揉めても良いけど、リスナーと曲の間には問題は無い筈だよね。

可哀想だ、助けてあげようという意味でお布施的に曲に金を出していたのであればそれは詐欺だといえるかもしれないけど、曲に感動してお金を出していたとすればそれは詐欺というにはチョイと大げさ過ぎる感じがする。

多分この作曲家は誰かというのを厳密にしていくと結構大変な事になりそうだよね、演奏とかに関してもライブではメンバー自身で演奏していてもレコーディングでは違ったりとか色々と名前の出ない影武者はいると思うよ。

作曲に関してもっとザックリした曲のモチーフだけで後はスタジオで作られたモノとかもそれなりにあるだろうしね、アレンジャーが実質は作曲を完成させていたりとかは普通にある筈。

アイドル的な歌手とかがアルバムで自作曲を作ってみましたというモノとかにもきっとそんなモノは山程あるのではないの?

アイドルにしても作られた本人と違うキャラを楽しんでいたりする訳だから、その耳の聞こえないというキャラを楽しんで来たのだったらそれで良いではないの?

別にスギちゃんがワイルドでなくても、レイザーラモンHGがハードゲイでなくてもテレビ等で観る時に面白ければ別に問題ないでしよ。

所詮はキャラモノですよ。

問題はCDとかの販売とかコンサート中止という部分、曲が凄いのであれば作曲者を正規表記して販売すれば良いし、コンサートも行えば良いと思う。

ただ偽物だという事で曲に価値が無くなる、売れなくなる、コンサートに来なくなるとなれば曲なんか聴いていなかったという事でしょ、曲の良し悪しなんか関係無く作られた物語性、キャラ性に感動していたという事だよね。

そんなモノと同じ扱いを受けたベートーベンの不幸・・・・

あと音楽家であの曲を評価していた人は影武者発覚でも引き続き評価しないと駄目だよね、あれだけ凄いと言っていたのだから作曲者が変わっても評価は変えては駄目だよね。

大体こんな感じか。


後気になるのは不幸自慢というか、不幸を乗り越えて来たという者を安易に評価する感じ、作品ではなくその背後にある物語に騙されてしまう感じが実に嫌。

イジメを乗り越えたとか、昔悪かったとか、病気で色々な夢を奪われたとか、確かに健常者や平々凡々な所にいた人よりは大変だったかもしれないけれどそれで作品の評価をチョイと良くするのは何か上から目線的で嫌だね。

安易に奇跡だ、天才だという部分に自分が努力していない部分を誤魔化す感じがして嫌、売れるからといって不幸を売り物にする駄目な大人が実に嫌だね。
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2013年06月09日

Heavenly MusicとRandom Access Memorise

最近買った細野晴臣とDaftPunkの新譜。

コレがどっちも良い感じなのだ、どっちの作品もゆったりとした幸せな気分にしてくれるのである、作っている人が好きな音楽を楽しんでいる感じが滲み出ているのだ。

特にDaftPunkはこう来たかという感じがするが、この作品に繋がるモノがコレまでの作品にも散りばめられていた。

今回のアルバムタイトルが「原点回帰」の方がしっくりくる感じである。

もっとエグイ、エレクトロニック・ダンス・ミュージック路線に突入してもおかしくは無かった、だが行き過ぎたダンスミュージックに対してもっと音楽は楽しいモノだよ、緊張感溢れるダンスミュージック、刺激だけを求めた電子ノイズなんて面白く無いという明確な意思表明に思えるのである。

「Heavenly Music」の方は前作からの延長という感じ、でも前作の「Hosonova」よりもっとラフな感じがする。

ザックリとした感じが非常にいい、音楽の在り方への提案みたいな感じに思えるのである。

もっとプライベートにゆったりと楽しむ音楽があってもいいという感じ、作り込まれた流行曲、新しい刺激的な音楽、斬新な曲といった最先端の音楽という部分に踊らされがちだし、デカイ箱に集まる様なモノ、ヒット曲が良いモノと勘違いする人もいる。

それが悪いとは言わないが音楽が消耗品になってしまう部分もあるのだ。

音楽ってそういうモノなのか?そういう感じで音楽を作っていたりするから音楽産業が縮小する事に右往左往したりするのではないの?著作権絡みでやたらシビアにももめたりするのも商品という観点で音楽を見ているからではないのか?

確かにそれで食べていくという関係上ある程度守るというのは大事だと思うけどね。

何らかの大惨事で様々な記録メディアが駄目になっても人々の口から口へ歌い継がれるモノが有っても良いのではないか、いや音楽を次の時代にもって行くという事はそういう事ではないのか?

記録メディアに残されたモノは記録でしかない、それらはいずれ死んでいく、歌い継がれる事で音楽は永遠のモノになる、歌詞が多少変わったり、節回しが多少変わったとしてもそれは大した事ではないのである。

そんな事を考える様な作品でした。
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2013年03月24日

トランペットが足りない

アニメの主題歌やヒーローモノのテーマソングを聴いていて思う、最近の作品はトランペットが足りないと思う。いやトランペットに限らずホーンセクションが足りない様な気がする。

これって音楽の作り手がそれらのアレンジを良いと思っていない世代になったのだろうか?その可能性はある、音楽の作り方がMIDI等によりコンピュータベースになり此等のアレンジがカッコ良くなり難いのではないか?今でこそサンプリング等でホーンの音は良くなったが初期のシンセ等で作られたホーンは違うモノ、異質なモノだったのである、その過程でそれらのセンスが失われたのではないかと思う。

また昔のテーマソングを書いていた人はクラッシック畑やジャズ畑の人が多かったのではないかとも思う。進駐軍相手のジャズ等の流れから自然にホーンが馴染んでしまったのである。

今はテクノ等の打ち込み系の流れから入っている人が多いのではないか?YMOからの流れで打ち込みとサンプリングの民族音楽的アクセント等で無国籍な響きを出すといった事はお手のモノという感じがするのである。

ザックリとした音楽的流れはこんな感じではないだろうか。

だがもう一つ別の理由を考えてみる、勧善懲悪のアニメが減っているその流れがホーンセクションを奪っているのではないか、インパクトが強すぎる為に微妙な心理を描くアニメや学園生活のモヤモヤ、ウハウハ等を描くのには不向きになっているのではないだろうか。

時代や視聴者が単純明快な答え、熱血を気恥ずかしい子供じみたモノと考えているのである。

更に勝手な妄想をしてみる、左翼的教育によりトランペットの音=進軍ラッパ=軍国主義といった変な連想ゲームがあり封印されていったのだ、子供の情操教育から排除されていったのである。

昔の漫画を見ればわかるがまだ「紫電改のタカ」「大空のちかい」といった戦記モノ漫画とかがあったのだが子供が読まないというのかもしれないが封印さたが如く今は消え去っているのだ。

編集者は時代にそぐわないというのだろう、しかし非難や抗議が来るかもしれないモノをあえて連載する必要はないという考えなのではないだろうか。

主人公を日本人にしてバトルモノにすれば戦争を肯定する感じがどうしても出てしまう、かといって主人公をアメリカ兵や中国兵にするというのなんか違うという感じだしね。

そんな感じでトランペットも封印されてしまったのである、今に甲子園の応援のブラスバンドも学ランの応援団も封印されてしまうのである。
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2013年01月30日

世界標準

日本の音楽事情は世界のトレンドから遅れているらしい。

だが遅れて何か問題があるのあろうか?ビルボードチャートに出ないと駄目なものなの?ビルボードって世界の音楽がランキングを争っている感じはしない。

まぁ確かにアメリカのヒット曲は日本のヒット曲に比べたら世界で売れている様な気はするけどね。それもまぁ英語の文化圏の強さという事では無いのという気もする。

高校生の時と違ってMTV、ベスヒットUSAとかも観てないから今のアメリカのチャートなんか詳しくは無いけど何か面白い音楽があるの?という感じだ。

FMとかで聴く範囲でこれだという感じはそんなに無いしね。これが世界クオリティの音楽トレンドだと言われても別に僕にはそれが何としかならない。

大体世界標準に合わせる意味がわからない、それって多様性無くす事だよね。世界中がバラバラで俺達の音楽どうよとバラエティ豊かに色々な音楽あった方が面白いのである。

ビジネス的には世界に出た方が良いのかもしれないけれど無理に世界に出ていく必要も無いしね、やりたい音楽の完成度を高める事が出来る状況と色々な音楽が生まれる状況こそが大事で大ヒットする事とかは二の次だと思う。

まぁこんな事を言うと必ず世界に出るだけの能力の無い者の戯言と言われるのだけどね。

それでも僕はドンドンとガラパゴス化して、国、地域により音楽の幅がある方が良いと思う。マーケティングをして売れる商品化をして行く事で均一化していくそれってどうなのよと思う。また売る為に初回限定版だの握手券だのとおかしな方に行くのもどうなのよという問題もあるしね(まぁこれは日本のガラパゴスか)。

また昔のミュージシャンは洋楽とかを貪欲に吸収していたとかいうのはチョイと恥ずかしい、むしろ今の方が洋楽も邦楽も同軸線上で俺はこれが好きと言える若者達の方が正しいと思う、変なコンプレックスが無い感じが余程良いのである。

世界的にはパンを食べているからご飯を食べるなと言われても困るのだよ。世界的に納豆が通じないからといって駄目だと言われてもガラパゴス化と言われても困るし、マクドナルド、KFC、コカコーラは世界中にあるからアレこそが世界クオリティと言われても「で?」としか僕には言えないのだ。
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2013年01月13日

ポジティブパンク

音楽のジャンル訳は実に意味不明である、まぁその分け方がわからなかった所でそんなに問題はないのだが、意味不明感に頭がクラクラするのである。

ポジティブパンクって何がポジティブなの?と思うのである。表面的にしかそのジャンルの音楽を聴いていないという事なの?

ヘビメタとかにしてもハードロックよりゴツイという感じなのだろうけど重金属っていわれてもねぇ・・・デスメタルとかは何じゃそりゃである。

プログレに関しても今となっては古くさいと思うだろうし、ニューミュージック、ニューウエーブにしても実に不味い感じがする。現代音楽はいつ古典音楽に化けるのだろうか?時代を感じさせるモノはジャンル分けには不適当ではないだろうかと思う。時間が経つと意味不明になるからね。

また80’sとか90’sという分け方もどうなの?あまりにもザックリしすぎていない?80年代風のアレンジとかいわれても訳がわからなかったりするのである。80年代の前期、中期、後期で音楽は変化しているだろうし、その時代のジャンルによっても違うのだから。
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2012年12月05日

パンク

1986年のDOLLを読んで思った、こんなに恥ずかしい本だったっけ?あまりにの衝撃で風呂で溺れそうになった。

実に自意識過剰で恥ずかしいのである、23歳になった俺の周りにはロックを聴いている奴はいないだの、ロック知識をひけらかすモンスターだのとドイヒーなセンスなのである。きっと今当時のフールズメイトを読むとまた安っぽい美意識満載の別の酷さがあると思う、そして宝島とかは死語の宝庫である。

またミュージシャンのインタビューにしても違うバンドの事を訊いて「アイツは糞だ」とか、音楽以外に大事にしている事の質問に「SEX」とか恥ずかしさの宝庫である。

これを読んでわかったのはパンクって厨二病の事だったんだ。チンピラなんかではなくタダの厨二病だったのである。シド・ヴィシャスははチンピラだと思うけどね。インディーズブームとかのパンクなんてモノは自意識過剰の厨二病なのである。

まぁ僕は今もそれをこじらせているオッサンだけどね、それが必要な労働をしている訳では無いけど未だに安全靴とか履いているしね。殆どの人は大人になって青臭い思い出になっているのだろう。

青臭い思想、政治的メッセージ、中途半端な怒りとかだからカッコ悪いのである、それらを軽やかに越え無ければ面白くならないのだ、怒りとかをユーモアに換えてこそカッコイイのである。

でもそれって厨二病には中々難しのねよ。
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2012年11月03日

音楽視聴

7割の人間が音楽視聴に1円も払っていないそうだ、そして500円以下が2割らしい。

でもこれって音楽を聴いていないという事ではないのである。聴いてはいるけどお金は払わんという事だ。

まぁ7割の人間が本当に音楽なんか聴かないという事だったとしても何の驚きもないけどね。

テレビ観ない、映画観ない、ラジオ聴かない、ネットも仕事絡みだけみたい生活している知り合いがいるからそんな事もあるかもと思うのである。

うちの母親もテレビは観ているけど映画館なんか30年行ってないし、ラジオも聴いていないというか既に実家のオーディオ機器は電源も入れられる事無く朽ち果てていたりする。音楽を聴く事があってもテレビで偶々流れていたり、スーパーで流れている有線放送だったりする位の生活をしているのだ。

それにネット環境もないという生活をしているのである。全く音楽を聴くという行為がない生活をしているのだ。

7割の人間のうちどれだけの人間が音楽を聴こうとしていないのか其処が知りたいと思う。

また1割の人間が音楽業界を支えているという事になると思うとチョイと胸が熱くなる。どれだけお金を使っているのか?僕は一応1割の中だ、更に1万以上使っている0.4%に入っている始末である。

きっとAKB商法のCDを山程買っている熱烈なファンによって支えられているのだ。これにより販売店、メーカーは何とかなっているのである。

でもこれからもAKB商法的な事で支えていくのだろうか?オッサン向けのYMO商法とか、オーディオマニア向けの高音質CD商法、リマスター商法。なんか終わっているよね。金を出してくれる特定の人間に支えられているという状況って音楽が大衆のモノではないという事だよね。

ある意味これって昔の貴族がパトロンになり音楽家を養っていた状況と同じ感じか。

でもそうしないと滅びるような音楽ならば滅びてしまえば良いのではないだろうか。残念だけど、何にも刺激を与えないモノになってしまったのだったら滅びるしかないと思う。

この滅びる状況を作ったのは実は録音出来る様になった、記録出来る様になったという事が原因か?エジソンの蓄音機が諸悪の根源か?

気楽に聴く事が出来る様になり、貪欲に消費され熟成と、発想速度を上回りカラッポになったという事なのかもしれない。そんなにアイデアが湯水の様に湧く訳ではないと思う。また敬意をしめさない著作権の締め付けが熟成を拒み音楽を消費する為のモノになった様な気がするのである。

良い曲はみんなで歌い紡ぎ熟成させていくべきではないのかと思う。

一山いくらの商品となってしまったら持たないのだ。ある意味クラッシックや伝統音楽が残ったのはそれを安易パッケージ化せずに時間を経る事が出来た為に残る様な強靱性を手に入れたのだ。

単なる消耗されるだけのモノになれば廃れていくしかない、消耗材なんて安ければ、安い程いいのだからね。

余暇を埋めるだけのモノとなってしまえば他に代用品が出てくれば忘れ去られるだけのモノなのだ。

聴いているけどお金を払わないという人、もう少し人の仕事に敬意を払おう。わかりやすい敬意としてお金というモノがあるのだから。
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2012年10月27日

人間の秘密

夜の幸から24年という時間を経て発表された原マスミの新譜。途中ベスト盤とか出てたりはするけど久々のアルバム。長かったという感じもするけどそれまでのアルバムが何度でも聴く事が出来る良いアルバムだったからそうでもないという感じもする。

ライブとかを観て新譜欲しいと思う事もあったけどもう頭の中にその曲が鳴り響いたから出なくても大丈夫という感じもあった。

そんな色々と微妙な気持ちの中で出たアルバムなのである。

新譜だけど懐かしい、久しぶりの友達に会った感じがする、実に味わい深いアルバムになっているのだ、昔から知っている音に再会した感じなのである。

多分これまで原マスミのアルバムを聴いた事が無くても懐かしい気持ちになるのではないかと思う。

今までもラブソングが多いと思っていたが今回は更にそれが多い感じがする、好きという感情をどうすれば良いのかもてあましていたり、好きというのをどのように喩えればその気持ちの大きさを表現出来るのかと足掻いている感じが溢れているのだ。

こっぱずかしくないラブソング、普通はラブソングなんてろくなモノではないと思っているのだけどね・・・

だがこの音楽の良さはそんな事ではない。原マスミという楽器の音が円熟を増し、良い音を鳴らしているのである。この声、節回し等に代わりがいないのである。素晴らしい楽器の音が其処に存在するのである。僕にとってこれに匹敵する楽器は戸川純の声である。

上手い下手といった技術的モノではない声の響きが持つ世界が何処かに連れて行くのである。声が持つ世界感、匂い等が僕を虜にするのである。

そんな事をいうと曲が駄目なのという感じもするかもしれないけど曲も良いよ。でもそれ異常に圧倒的音の存在感があるのである。まぁその存在感のインパクトの為に嫌悪感を持ったり曲の良さに気がつかなかったりするのかもしれない。

時代や流行等を超越した古くなることも新しく成る事もない音楽が此所にあるのだ。好みに合えばずっと聴いていける音が其処にあるのだ。
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2012年10月26日

価格破壊

ロキシーミュージックのBOXを買った。九枚組で税込5193円。

なんという価格だ!!

確かに新譜ではないし、これまでに制作費も生活費も十分に元はとったと思うけどやはり安いと思う。

しかしなんでこれを安いと思うのだろうか?

これまでのCDとかが高かっただけなのではないのか?確かにその可能性はある。しかし気に入ったCDは何回も聴く事が出来るのだ。10回ぐらいしか楽しまなかったとしても8時間位は愉しんでいるのである。時給700円と考えれば5600円位のサービスを受けている感じだ。ライブに換算すると3回位の観ている感じだ。そう考えるとCD価格の3000円とかってかなりいい感じの値段だと思うのである。それが一枚当たり570円位で手に入る状況ってサービス満点過ぎるのである。

日常的に音楽が溢れているからそれが当たり前、タダで聴く事が当たり前と思う人もいるだろう。むしろ聴いてやってる位に思っているかもしれない。音楽にしても、テレビ番組にしてもタダに慣れ過ぎて麻痺しすぎていると思う。

こんなモノに金を出すなんて馬鹿じゃないという思想が蔓延し価格破壊が起こっているとしたら実に由々しき状態だ。サービス精神の発露であって欲しいのである。

だが此処にまた問題が生じる、名盤がそんな価格で売られるとそれよりヘボいモノが新譜だからといって高い金額で売られる事に違和感を感じる者が出てくるのである。

本当に名盤で誰もが欲しがる様なモノならば価格は上がるべきではないのか?という考えも成立するのではないだろうか。

売れるから安くなる、売れないから高くするという値段付も現実にある。考えれば考える程価格の正体がわからなくなっていくのだ。

価格破壊、安く購入できる事は嬉しいがそれにより音楽産業が崩壊してしまうのではないかという不安、他人の仕事を大した事ないと低評価する風潮が拡がるのが実に怖いのである。
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2012年06月21日

音楽

今音楽は儲からないという事だ、佐久間正英の発言や著作権法改正の事がその証拠の断片なのだろう。

これは音楽が金の取れる娯楽では無くなったという事なのである。僕はむしろの状態の方が正常の様な気がするのだ、これまでがチョイとおかしかったのである。その時の栄光に何時までもしがみついて現状の認識が出来ていないからおかしな事になるのである。

音楽には作る人とそれを聴いて楽しむ人がいればそれでいいのだ。音楽を広める為にこれまでは流通という仲介がいたのだが其処がどうにも力を持ちすぎ、音楽を管理しすぎたのでは無いだろうか。

挙げ句の果てに音楽にまでこれは売れるからOKだの売れないから駄目だのと仕分けをするまでの暴走まで許してしまったのである。確かに流通には流通の論理があるのはわかるのだがあまりにも勘違いしすぎて音楽を活きの悪いモノにしてしまったのではないかと思う。パッケージ化する為に色々なモノをそぎ落としてしまったのである。

だが時代は変化した、昔のインディーズブームの時よりも簡単に音源を発表する場所が生まれてしまったのである。またPCを使ったホームスタジオでそれなりの音質でレコーディング出来る状態に成ったのである。時間とセンスがあればかなりの部分まで音を作り込む事が低予算で出来る時代になったのだ。

発表する為の形態が変わったのに未だに其処に拘り抜け出せずにお金お金と蠢いてドツボにはまっているのが今だ。

音源が氾濫する世の中になってしまったのだ、口コミも色々と氾濫出来るしね。

音楽は身近なモノに成ったのである、音楽のファーストフード化である。

状況は大きく変わったのだ。

しかしこのファーストフード化、安くお気楽に楽しめるという面はあるが今ひとつ響かないのである。

音楽が消費する為のモノになってしまったのだ。これは今までの古い世代がやって来た事とあまり変わらない事をみんながやり出したのだ。金になるか否かの違いはあるけど。

僕は音楽が駄目になった原因をMIDIの発明だと思っているが、それにトドメをProToolsとかのレコーディングソフトが刺したのである。簡単に作れる様になった反面、微妙に緩い音楽も増えてしまったのである。そこそこのモノで満足してしまう風潮が出来てしまったのである。

まぁ高みに登る必要があるのか?という問題があるからどうでも良い事なのかもしれないけどね。
posted by mouth_of_madness at 22:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月27日

オリコンデイリー

オリコンのデイリーランキングが凄かったらしい。もう3位とかが3桁台とか。

若者のCD離れらしい、でもダウンロードで買っているかというとこれも低下傾向らしい。まぁ音楽が魅力のある娯楽ではなくなったという事なのだろう。

でもCDが売れなくなったという記事を見ると何か違和感を覚える。これまでそれまで売れていたモノが売れなくなった時にも場合にも記事になっていたのかだろうか?記事になったモノもあればならなかったモノもあるそういうモノだと思う。

何で音楽は記事になるのか?

色々なモノには盛衰があるというのが当たり前のモノではないのかと思うのである、でも音楽は何か特別感がある様な書き口がどうにも気になるのだ。

音楽で飯を食っている人は確かに売れないと困るというのはわかる、産業としても音楽産業はそれなりに大規模な産業だろう。印刷業務、プレス業務、ケース製造と音楽とは違うがこれらの業種の人間もCDが駄目になれば仕事に影響すると思う。確かに規模を考えれば問題は小さくないとは思う。

でも音楽が売れないと何か問題があるのか?

売れないとしたらその程度のモノという事なだけだ、何も特別なモノでもなかったという事なのだ。それにこれまでに発表された膨大な量の音楽を楽しむだけでも一生分あるのだ。

新しい曲が生まれなかったとしても膨大な音楽があるのだ初めて聴く様な驚きは十分にある。

これまで潰れていった色々なモノ、それらを踏みつけながらも前に進んで来たのが今だ。

そして音楽の代わりの他のモノが生まれて来ているのも今だ、それが世界を変えるという錯覚を人々に与えるモノになるか否かはわからないけどね。なんか細分化している今、それほどのパワーを持つまでに育つのは難しい様な気もする。
posted by mouth_of_madness at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする